「虎口裏に湌を奪う」~僧侶兼打楽器奏者 福原泰明の音楽説法 第7回





 

人気連載「僧侶兼打楽器奏者 福原泰明の音楽説法」の第7回です。

2014年に日本人として初めて世界で最も有名なブラスバンド「ブラック・ダイク・バンド」の正式メンバーとなりパーカッション・ソロイストとして活躍。帰国後は僧侶としての修行を積み、現在は僧侶兼打楽器奏者として幅広く活躍している福原泰明さん。

そんな福原さんが、「心」をテーマに、仏教の教えを元に、演奏家(音楽家)の悩みや心のモヤモヤを晴らし、どう生きていくか、をライトに語る連載です。

第6回となる今回はのタイトルは「虎口裏に湌(さん)を奪う」。さてどういう意味なんでしょう。

※「さん」は機種やブラウザによって表示されないかもしれません、「冫」に「食」という漢字です。

 


2019年4月30日、「平成」最後の日であり、明日5月1日から新しい元号「令和」になるそんな日にこのコラムを書いております。皆様はいかがお過ごしでしょうか?ちなみに私は追い込まれています。

 

「虎口裏(ここうり)に湌(さん)を奪(うば)う」。この言葉は、中国元王朝時代の1307年に作られた禅書である「禅林類聚(ぜんりんるいじゅう)」に出てきます。

そのまま読むと「虎が口に咥えている食べ物を、奪いに突撃する」ということで、「非常に危険なことをする気持ちを持って、覚悟をして挑む」という意味になります。
最初私は「そんな泥棒まがいなことで覚悟を示すんだったら、ネットで食料注文するわ…」と思いましたが、よく考えたらこれ元の時代の言葉だし、ただの譬え話だったわこれ。

ともかく、禅の修行はそこまで追い込む覚悟が必要だ、ということですね。

 

禅の世界だけでなく、日常でも「自分を追い込む」場面は出てくると思います。
しかし、ただただ「追い込む」だけで効果はあるのでしょうか?闇雲に虎の懐へ飛び込んでも、何かを得られるとは思いません。恐怖で逃げ帰ってくるか、最悪そのまま食われるだけでしょう。

コロンビア大学の認知心理学教授のジャネット・メトリカルフェによると、新しいことを学ぶときは、自分の理解している範囲の少し先にある教材に取り組むかどうかが決め手である、とのことです。つまり「すでに知っていること、自分にとって難しすぎること」を目指したところで効果は薄いのです。

音楽の練習で例えると、テンポ四分音符=180の16分音符を安定して演奏できなければ、そのテンポで16分音符が羅列されているフレーズを演奏することはできません。
自分の16分音符の限界が四分音符=150であれば、まず154あたりを目指すべきで、いきなり180で練習しても効果は期待できません。「自分にとって難しすぎること」に当たり、練習が効果的な範囲では無いのです。

 

逆に、ずっと150のテンポでやっていても同様に効果は薄いです。「すでに知っている(出来る)こと」に該当し、このテンポを続けても180のテンポで出来るようになる見込みは薄いでしょう。

練習する内容は、常に「自分の一歩先」でなければ効果が薄い。身も蓋もない言葉に言い換えれば、「練習には『楽が出来る領域』は無い」のです。既に出来ることをずっとやっていても、それは「練習」ではなく「遊び」です。

 

じゃあその「一歩先」ができるようになったから楽が出来る、というわけでもありません。154が出来るようになったからと言っても次には158あたりに到達しなければいけません。
ただ単に「154が楽に出来る領域になった」だけで、158が次の「一歩先」です。なので、先ほどの言葉に言葉を付け足すと「練習には“常に”『楽が出来る領域』は無い」のです。

トレーニングの第一人者であるアンダース・エリクソンは練習のことを「苦行」と呼んでいます。常に楽が出来ない、つまり誰にとっても苦行なのです。

ちなみに私は以前、テンポ四分音符=168の16音符が羅列されたシロフォンのソロを担当した事がありました。しかし本番2日前に指揮者から「もっと速くするわ」と言われ、最終的にはテンポ188で振られました。指揮者を虎の餌にしてやろうかと思った。

 

とにかく、練習における「ちょうど良い」は「実力の少し先に目標設定をし、常に前よりも少しだけ頑張る」状態なのです。私たちは皆、追い込む事でしか先に進めないのです。
でも、虎の食べ物を奪いに突撃するのは「難しすぎること」に当たるので、良い子は真似しないでね。

ちなみに私も現在進行系で追い込まれています。いや、正確には追い込まれてました。何にかって?コラム提出の締め切りです。


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わかるわかる、ダフニスとクロエのタッタタッタタッタタッタというベースの刻み(僕はコントラアルトクラリネット)の箇所をだんだんテンポを上げながら「出来てねえ!」「リズム甘い!」と先輩にスパルタされた記憶が蘇ります。

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※この記事の著作権は福原泰明氏に帰属します。


【福原泰明 プロフィール】

東京都出身。15歳より打楽器を始める。日本大学文理学部心理学科卒業。英国王立北音楽院修士課程修了。
在学中に学内奨学金を授与される。打楽器全般を大里みどり、シモン・レベッロ、エリザベス・ギリバー、ポール・パトリック、ティンパニをイアン・ライト、ラテンパーカッション及びセットドラムをデイヴ・ハッセルの各氏に師事。第11回イタリア国際打楽器コンクール(ヴァイブラフォンの部)ファイナリスト。

2011年7月、渡英と同時に、世界で最も名高いブラスバンド(金管バンド)の一つ、フェアリー・バンドに入団。同年10月より首席打楽器奏者を務める。同年12月にはブラスバンド専門ウェブサイトの4barsrest.comにて「2011年打楽器奏者ベスト5」の一人として取り上げられる。2012年には有名ブラスバンド専門雑誌「British Bandsman」にて表紙を飾り、ロング・インタビューが掲載されるのを始め、複数の音楽雑誌に取り上げらるなど、英国ブラスバンド界ではまだ数少なかった”打楽器ソリスト”として活動。その存在は、普段ブラスバンドの中ではスポットが当たりにくかった”打楽器”を”ソロ楽器”として認識させることとなる。2013年1月、「RNCM Festival of Brass」にて自身が委嘱したロドニー・ニュートン作曲の打楽器協奏曲「ザ・ゴールデン・アップルズ・オブ・ザ・サン」をフェアリー・バンドと共に世界初演し、満員の観客からスタンディング・オベーションを受け、ブラスバンド界の演奏者、指揮者、作曲家、編集者の各方面からも絶賛される。

同年10月よりレイランド・バンドに入団。打楽器ソロ曲のレパートリーを更に広げていく。同年11月、三大ブラスバンド・コンテストの一つ「Brass In Concert Championships」にてマリンバとフリューゲル・ホルンのデュオを演奏し、「本日の最高の演奏の一つ」(4barsrest.com)と評される。

2014年、世界で最も有名なブラスバンドと言われるブラック・ダイク・バンドに史上初の日本人正式メンバーとして入団。マリンバ・ソロイストとしてコンサートでソロを務める。
オランダの打楽器メーカー”マジェスティック・パーカッション”エンドーサー。


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